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ゲーム日記

ゲームのAAR・リプレイ等用のblog

カテゴリー「RTW_BI」の記事一覧

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西暦366年、夏

 明けて366年。
 国境付近を見てみると…。
増えとるwww …増えとる。
 大将にマニウス・フラウィウスを迎えて増強された軍団と、さらに南にはイリュリアの都市サロナ目指して進む大隊が。
 外交情報では西ローマ反乱軍と東の兄弟は停戦しているし、やる気満々にしか見えない。
 そもそも、ササン朝と停戦したりゴートと同盟結んでまで、こっちに攻めてくるっておかしくないかw
 維持費を安くしてても、人員補充は編成コストから計算されるんで、消耗戦はしたくないんだが…。
 いっそ東との国境地帯をすべて叛乱させてしまいたいところだが、イリュリアには鉱山もあるし、サロナの貿易収入は現西ローマ領内ではカルタゴやロンデニウムを押さえて最高額を誇るので捨てがたい。
 迷ってみても東は待ってはくれない。

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西暦364年、夏

 年は明けて364年。
叛乱の季節
 予定通り、叛乱が発生。


 とはいえ、ラエティアは叛乱ではなく暴動。叛乱が起きるまで放置するけども。
 それにしてもアレマンから4k奪ったとはいえ、意外にも国庫が黒字。
 以前やったときは宗教どころか治安とかもよくわかっていなかったんで、叛乱がもっと派手に起きたせいもあるんだろうけども、最初2ターンの黒字の後、ものすごい勢いで赤字垂れ流してた記憶がある。
 維持コストを減らしたのは失敗だったか?
 まあ、戦闘が起きて編成コスト倍が効いてくるとまた違ってくるだろう。

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西暦363年、夏

 開始の西暦363年というのは、最後の非キリスト教徒皇帝である背教者ユリアヌス帝がペルシア遠征中に死去した年で、ユリアヌス帝に有力な親族がいないために軍によって選出されたヨウィアヌス帝が翌年死去すると、同じく軍によって皇帝に選出されたウァレンティニアヌス1世と直後に共同皇帝に選ばれた弟ウァレンスとで、兄弟による東西分割が実施されたわけだけども、ゲームではヨウィアヌス帝はなかったことにされてイキナリ兄弟による分割統治から開始する。
 東ローマでは序盤ササン朝ペルシアの対処がメインだったが、西ローマではアレマン、ケルト、サルマタイ、ベルベル等と交戦状態であり、これら蛮族の侵入に備えるのがメインとなる。
 キャンペーン難易度は『非常に難しい』で戦闘難易度は『難しい』に設定。戦闘難易度については東ローマをプレイ時も同じだったが、山人相手に正面から弓兵が射掛けても矢が尽きるまでまったく削れないという悲しい経験から戦闘難易度がCOM勢力ユニットの攻守能力に影響を与えるとすると戦闘でこちらの損害が増えるだけで、西ローマでは盗賊相手にさらに苦労することが予想され、難易度上げることを躊躇したためである。
 せめて、COM勢力ユニットの士気が高くなるとか疲れにくくなるとかなら救いもあるんだけども。
 ついでに東ローマでプレイした際の反省点として蛮族に対してローマ強すぎというのがあったので、東西ローマ軍の編成コストを倍(代わりに維持費を少し減らした)に、非ローマの開始時の国庫を倍にして、ローマには軍が壊滅した際の再建を困難にするとともに相対的な弱体化を狙ってみた。
 あとは1年12ターン制に改造しようとして挫折した(セーブできなくなる)ので代わりに移動力を25%増しにしてみた。
 イタリア半島をただ縦断するだけで2年かかるのは流石に勘弁、っていうね。
 あまり変わったようには思えないけど、じわじわと未知のバランスが効いてくることを期待。

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